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メデイアメデイア

エウリピデス作『メデイア』No.3

メデイアの魔女としての資質が遺憾なく発揮された、贈り物の打掛に染み込ませた毒物。その打掛を着た姫だけでなく、その着物を剥ぎ取ろうとしたクレオン王をも焼け死にさせたのです。このような毒物を作るメデイアの力は、人間の乙女をギリシャ神話の代表的な怪物スキュラにしてしまったほどです。また、イアソンの老いた父アイソンをも若がらせました。

ところで、この悲劇ではメデイアが自ら自分の子を殺しますが、彼女の子が死んでしまう原因には、当時いろいろな説がありました。

  1. コリントスの婦人たちが子を殺した
  2. メデイアが子を神殿に隠したが、クレオンの親族によって見つかり殺される。それをメデイアが殺したと噂を流した
  3. メデイアがヘラの神殿に子を隠したが、誤って死なせてしまう

ですから、メデイアの子殺しはエウリピデス独自の創作です。エウリピデスの悲劇は、アイスキュロス、ソホクレスに比べ悲劇性がないように感じていましたが、この『メデイア』には驚きました。

エウリピデス作『メデイア』No.3
コロス(合唱隊)=コリントスの女たち

(コリントスのメデイアの住居の前)

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メデイア、イアソンを騙す。

(イアソン、登場)

イアソン
呼ばれてやってきたぞ。さあ、用件を聞こうではないか。
メデイア
あなた、お許しくださいませ。私が浅はかでした。私たちのために、この縁組をなさったことは正しいお考えと存じます。
(家の中の子供たちに)さあ、子供たち、出ておいで。
(子供たち、出てくる)さあ、お父様の手をとって。
(涙を流し、独白)ああ、隠れた禍いが、この胸を襲う。
コロスの長
私の目からも、止めどなく涙が流れます。
イアソン
よく言った。先の言は咎めはせぬ。女の身としては、腹をたてるのも無理ないこと。子供らよ、お前たちのために、心を砕いてきた父であった。新しい子ができれば、お前たちにとっても、このコリントスの地で良い暮らしができるというものだ。
はて、メデイア、なぜ顔をそむけ涙を流しているのだ。嬉しくはないのか。
メデイア
なんでもありませぬ。この子らを考えまして……。
私はこの地を離れますが、子供たちはクレオン王に追放のお許しを頂いてくださいませ。王様が難しようであれば、あなたの妻となる王女様から、お願いしてくださいませ。
イアソン
そうしよう。

黄金の王冠と、薄衣の打掛

メデイア
そこで、王女様の贈り物を用意しました。祖父に当たる日の神様(ヘリオス)が子孫のために下さった黄金の冠と薄衣の打掛です。さあ、子供たち、この贈り物を持って、花嫁に差しあげるのです。
イアソン
そのようなものは、そなたが持っていた方が良い。これからいろいろ入りようになろう。王家には衣装も黄金も十分にあるのだから。
メデイア
いえ、贈り物は神をも動かします。「百万の言よりも一片の黄金」と申します。急いで、子供たちを連れていってください。

(イアソン、子供たちを連れて退場)

コロス
子供らのその命、もはや望みも絶えて、今行くは死出の道。

...............

(守役の爺や、子供たちを連れて登場)

守役の爺や
奥様、姫君は贈り物を受け取りました。子供たちの追放は免れました。はて、なぜにそのような悲しい顔をなさいます。
メデイア
ああ、どうしよう……。本当にどうしよう……。
守役の爺や
はてはて、これは良き報せではなかったのか?
メデイア
おお、子供たちよ、母はもう何もしてやれぬ。成人のお祝いも、結婚のお祝いも、何の世話もしてやれぬ。お前たちを産んで、育ててきたこともすべて無駄になってしまった。

かわいい目で、私を見るのはやめて。

ああ、私にはできない、できない。子供たち、もう中へお入り。
ことはもう始まったのだ。花嫁は、息絶えようとしている。私の行く道は険しい。しかも、この子らにはさらに険しい道を行かせようとしている。
(子供たちに近づいて)母さんが、その手を握ってやろう。まあ、なんという可愛い手! でも、ここでの幸せは父さんが壊してしまったの。もう見てはいられない、さあ、家の中へお行き。どんなにひどい事をしようとしているか、自分でもわかっている。しかし、たぎり立つ怒りの方が強いのだ。これが、人間の一番大きな禍いの因なのだ。

(守役の爺やと子供たち、家の中へ)

クレオン王と姫君の無残な死

(使いの者、登場)

使いの者
メデイア様、なんと恐ろしい事を。さあ、早く逃げなさいませ。
姫君様が、たった今お亡くなりです。クレオン王も、ご一緒に。あなたの毒薬によって。
メデイア
何よりも嬉しい知らせ。
使いの者
何と言われます、正気の沙汰とは思われません。
メデイア
詳しく聞かせておくれ、姫君とクレオン王の死を。
使いの者
姫君は、最初お子達に顔を背けておりましたが、こうイアソン様がこう申し上げました。
「親しい思いを持っている子らから目をそらしてはなりません。贈り物を受けて、この子らの追放を許していただけるよう、父上にお願いしてください、私に免じて」
姫君は嬉しい顔をして贈り物を受け取りました。イアソン様とお子らが部屋から出ると、すぐ贈り物を身につけたのです。嬉しさにスキップしてお部屋をあちこち回ります。

しかし、次には見るも恐ろしい光景が起こったのです。顔色が青ざめ、どっと椅子に倒れ込みました。口から白い泡を吐き、眼をむいて凄まじい悲鳴をあげました。腰元は急いで、父親とイアソン様を呼びに出て行きました。

頭を締め付ける黄金の冠からは業火が吹き出し、うすぎぬは柔らかい肉に食い入っているのです。姫君は、今や火だるまになり、のたうちまわり、倒れ伏しました。もはや、誰とは見分けがつきません。そこへ、クレオン王がやってきて、姫君を抱きかかえると、うすぎぬが王の腕にまで張り付きます。はがそうとすると、肉が骨から引き剥がれます。そして、父娘ともども死に至りました。

あなたのことは、私には何も申し上げることはありません。罰を逃れる道を、ご自分でお見つけになさるでしょう。

(使いの者、退場)

メデイア
一刻も早くここを立ち去らねば。子供たちにはどの道命はないのですから、生みの母の手にかかるのが、せめてもの幸せと言えましょう。

(メデイア、家の中へ入っていく)

メデイアの子殺し

(しばらくして、家の中から)

子供たち
ああ、ああ。かあさんの手から、どこへ逃げよう。兄さん、殺される。お願い助けて。
コロス
お聞きになって、お子達のあの叫び。ああ、おいたわしい不幸な女。生みの子を、わが手にかけられるとは。

(イアソン、従者を連れて登場)

イアソン
(コロスに)メデイアは、まだ家におろうか。もう、逃げおおせただろうか? あの女は、しかるべく罰っせられよう。
しかし、私がやってきたのは、子供たちの命を救うがため。
コロスの長
お気の毒に、イアソン様。何も知らぬとはいえ。お子たちは、母親の手にかかって、お亡くなりです。

メデイア vs イアソン、最後の対決

(イアソン、急いで家の戸を開けようとする。
その時、竜の戦車に乗ったメデイア、子供の死骸を抱えて上方に現れる)

メデイア
戸を開けても、もう遅い。私を捕まえることなどできませんよ。
イアソン
この上なく、憎い女め。自分の子を殺めるとは。私を生きがいのない、子なしの身にしおったな。今こそ、さとったぞ。コルキスの地から、お前を連れてきたのは若さゆえの過ちであったと。いかに罵しろうと、そなたは気にもかけない。人間の女ではなく、牝のヒョウ、シケリアの海に住む怪物スキュラよりも荒々しい気性の持ち主だ。もう失せろ!
メデイア
私との縁を踏みにじり、ご自身は楽しい生活を送ろうなどとはうますぎる話。クレオン王も姫君も、私を追放し無事でいられるはずがない。牝のヒョウとでも、怪物スキュラとでも、私を好きなように呼ぶがいい。あなたの心は、打砕きましたから。最後に、何がお望み?
イアソン
せめても、子供たちを葬らせてくれ。
メデイア
なりませぬ。子供たちの墓が荒らされますから。私が山の上に墓を建てますわ。この地コリントスでは、子殺しの罪のあがないとして、今よりのち祭典の儀を設けましょう。私はアテナイの地に参り、アイゲウス様と一緒に暮らしましょう。
あなたは、アルゴー船の残骸に頭を打ち割られ、悪人相応に惨めな最期を遂げましょう。

(竜の戦車、徐々に動き始める。イアソンは泣き崩れる)

※イアソンはメデイアの言葉通り、朽ちたアルゴー船の残骸の横で死を迎えます。

シャルル・アンドレ・バンルー〈メデイア〉メデイア
※ギリシャ悲劇『メデイア』では子供の死骸は竜車の中。