ヘレネ?とパリス
メネラオスがトロイアから連れ戻したヘレネは、なんとゼウスの妃ヘラが雲で造った肖像だったのです。パリスの審判でアフロディテに負けたヘラは、ヘレネをパリスに渡したくはなかったのです。
そして、17年間離れていたヘレネとメネラオスが、とうとう再会します。しかし、ヘレネはエジプトの王に結婚を迫られています。王はヘレネがギリシャ人に連れ去られるかもしれないことから、ギリシャ人といえば殺してしまうのです。
メネラオスはエジプトにいることを、絶対に王に知られてはいけません。しかし、最大の脅威は王の妹テオノエで、彼女はすべてを見通せる予言者でした。そのテオノエが、ヘレネとメネラオスの前にやってきます。
エウリビデス作『ヘレネ』No.2
コロス(合唱隊)=拉致されエジプトに売られたギリシャの女たち
(ナイルの河口にのぞんだ宮殿の前。前景に前王の墓)
ヘレネ[2]ヘレネとメネラオスの17年後の再会、予言者テオノエの脅威
エジプトに漂着したメネラオス
メネラオス
アトレウスの有名な息子アガメムノンとこのメネラオスがトロイアを滅亡させたにもかかわらず、こうして見も知らぬ土地に流れ着いた。トロイアから連れてきたヘレネも部下と一緒に隠れている。今は食べ物も着るものも持たぬこの身が情けない。身分が高かっただけに、この窮乏はこたえる。
だから、何か得られぬか探しているうちに、この大きな館の前に来たというわけだ。おーい、門番、出てきて、わしの惨状を助けてくれないか。
(老女、館の中から登場)
老女
誰だね、門の外にいるのは? さあ、帰っておくれ。ギリシャ人には用はないのさ。さもないと、あんた、殺されるよ、生きては帰れないよ
メネラオス
なんという不当な扱いだ。たのむ、ご主人に伝えてくれ。
老女
厄介ったらありゃしないね。
メネラオス
ここは何という国で、この館のご主人は誰なのかね?
老女
この国はエジプト。この館のご主人は元プロテウスといって、そこの墓に眠っておられる。今の王はそのご子息です。
メネラオス
なに、エジプト? 大変なとこへ来てしまった。ところで、ご主人はいらっしゃるのか。
老女
今はいらっしゃいません。でもギリシャ人が大嫌いなので、助けを求めても無駄です。
メネラオス
なぜ、ギリシャ人が嫌いなのか、理由を聞かせてくれないか。
老女
ヘレネがこの館にいるからです。ゼウス様を父とするテュンダレオスの娘で、昔スパルタにいた女です。
メネラオス
ヘレネ? どこから来たのだ! 訳のわからぬ話だが、いつのことだ。(まさか、見つかってしまったのか?)
老女
ギリシャ軍がトロイアに行く前のことだから、一昔前のこと。それより早く立ち去りなさい。きつい言い方になってしまったが、心ではギリシャ人の味方ですよ。
(老女、館の中へ)
メネラオス
なんとも驚いたことだ。妻と同じ名を持つ女がここに住んでいるとは。しかも、ゼウスを父とするテュンダレオスの娘というではないか! ここのゼウスという者は、人なのか? 神であるはずがない。それに、トロイア、スパルタとも言ったな! 世界には別のトロイアやスパルタという国があるのか!
それはさておき、召使に言われたからといって、すぐ逃げ出すこともない。ここのご主人は、トロイアを滅ぼしたメネラオスを知っていよう。とにかく帰りを待って、手助けをしてくれそうか様子をみよう。
トロイア戦争のメネラオス
ヘレネと戸惑うメネラオス
(ヘレネとコロス、王宮より出てくる)
コロス
ヘレネ様、よかったですね。テオノエ様ははっきり言ってくださいました。まだメネラオス殿は生きていると。でも、海難にあい、まだ故郷には帰っておられないとも。
ヘレネ
この近くにいて、いずれわたくしのところへやってきてくれるとも言ってくださいました。しかし、不安になります。助かるとは明言されませんでした。
(メネラオスが近づいてくる)誰でしょう、身なりが荒々しく、わたくしを捕まえようとする王様の手下かしら。早く、墓のそばへまいりましょう。
メネラオス
お待ちなさい。なぜ逃げるのです? 貴女のその姿かたち、驚きのあまり口も聞けぬ!
ヘレネ
この人はわたくしを捕らえ、王様に引きわたつすつもりに違いありません。
メネラオス
わたしは悪い者ではありません。貴女はどなたですか? そのお顔は……
ヘレネ
(墓の前に来たので)もう、逃げません。あなたこそ、どなたなのです? ああ、神様! 懐かしい人の面影を見るような……
メネラオス
じつにヘレネに似ていっらしゃる。
ヘレネ
あなたこそ、夫メネラオスに似ています。いったいどう言えば……
メネラオス
わたしは、まさしくメネラオス。
ヘレネ
(メネラオスの袖をつかみ)ああ、やっとお会いできました。わたくしは、妻のヘレネです。トロイアへは行きませんでした。トロイアに行ったヘレネは、女神ヘラ様が作られた雲の肖像なのです。わたくしをパリスに渡さないための身代わりなのです。
メネラオス
信じられぬ。トロイアでの戦いを思うと、あなたの言葉は軽く、ただの嘘のようだ。(メネラオス去ろうとする)
ヘレネ
ああ、どうしよう! わたくしより惨めな女がいるだろうか? ああ、もはや祖国には帰れない……
ヘレネとメネラオスの喜びの再会
(メネラオスの部下で老いた使者、登場)
使者
メネラオス様、探しました。皆の使いでやってきました。
メネラオス
その顔は、どうしたというのだ。この土地の者にでも、襲われたとでもいうのか?
使者
それが、なんとも不思議なことがおきました。奥様が、大空へ消えてしまいました。お別れ際にこうおっしゃって。
「哀れトロイア人とギリシャ人。わたくしゆえに多くのものが死んでいった。あれは、ヘラ様の企みだったのです。パリスが妻にしたわたくしは単なる肖像。ヘレネは、汚名を着せられただけなのです」
(ヘレネを認めて)レダの娘ごにごあいさつを。ここに飛んでこられたのですか?
メネラオス
そうであったのか。ヘレネよ、そなたの言うことはピタリと符合する。待ち望んだ日よ!
(ヘレネとメネラオス、抱き合う)
ヘレネ
ああ、懐かしいメネラオス様、思えば長い長い年月でした。ヘルメス神がヘラ様の命により、わたくしをここエジプトにつれてこられてから、17年が経っているのですから。
メネラオス
もう何も言うことはない。
こうして、ヘレネ、メネラオス、コロス、使者たちは喜びました。しかし船も食料もないこの状況から、いかにして故国に帰るか? まだ大きな問題は解決されていません。
メネラオス
(使者に)頼みがある。残っている仲間に知らせてほしい。ここで見た通りの話を、そして避けられそうもない一勝負があるかもしれないと。
使者
承知いたしました。
(使者退場)
王の妹、予言者テオノエの脅威
メネラオス
ところで、門番の老女に聞いたことだが、なぜここの主人はギリシャ人が大嫌いだなのだ?
ヘレネ
そうです、はやくお逃げなさいませ! わたくしの結婚の妨げになるからです。
メネラオス
ここの主人が、わたしの妻との結婚を望んでいるのか?
ヘレネ
この国の支配者で、亡きプロテウス殿のご子息です。それでは、わたくしの結婚話はご存じなのですね。ですが、あなたへの操は汚しておりませぬ。そのために、いつもこの墓の前に来ているのです。このお墓が守ってくれているのです。
メネラオス
それでは、そなたを故郷スパルタへ連れ帰ることはできぬのか? そなたのために、トロイアを滅ぼしたのだぞ。一人で逃げたら、トロイアが泣くであろう。
ヘレネ
わたくしたちが救われる望みはただ一つ。あなたがおいでになったことを、王様が知らなければよいのです。
メネラオス
誰がしゃべるというのだ? わたしが誰であるのか、知る人はいまい。
ヘレネ
王の妹、予言者テオノエ様は、すべてを見通すことができるのです。
メネラオス
そうなると、ごまかしようがない。命はないな。
ヘレネ
二人で、お願いすればなんとか……。もしだめなら、二人とも死ぬしかありません。わたくしは、けっして結婚には応じません。その時は、どういたしましょう?
メネラオス
この墓の前でそなたを殺し、自ら命を断つ。一人だけギリシャへ逃げ帰って、トロイアでの誉れを汚しはせぬ。わたしのために、アキレウスも母テティスに先立ち、アイアスも自害し、ネストルも息子に先立たれたのだ。
ヘレネ
(テオノエが宮殿より出てくる気配を感じて)ああ、惨めなわたくし、最後の時がやってきました。メネラオス様、トロイアから流されてきて、このエジプトで死を迎えることになるとは。
(テオノエ、侍女たちを従え登場)