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このギリシャ・ローマ神話3つのポイント
  1. イアソンとメデイアの追放。2人はコリントスへ
  2. イアソンのメデイアへの裏切りと新しい許婚コリントス王女と王の死
  3. メデイア、アテナイへの逃亡。そして、故郷コルキスへ
    ※神の名前は、ローマ神話名(ギリシャ神話名)です。

イアソンとメデイアの追放

メデイアの逃亡2人の子を殺してメデイアは逃亡

イアソンとメデイアとの追放

『変身物語』では、ペリアスを殺害した後のことは、逃亡劇としてオウィディウスは語っています。メデイアが竜の車に乗って行った地方がたくさん出てきますが、よく知られていないエピソードもあります。また、なぜメデイアが逃亡したのかも詳しく語られていません。簡単に書いておきます。

イオルコスの人々は、簡単に人を殺す魔女メデイアを恐れ、イアソンともども追放してしまいました。

2人はコリントスに逃れ、2人の子供と10年間幸福に暮らしていました。やがてコリントス王クレオンがイアソンをたいそう気に入り、「コリントスの未来を、あなたのような英雄にまかせたい」と、王女グラウケとの結婚をたのみました。

イアソンの裏切りとコリントス王女と王の死

イアソンはメデイアの一途ではあるがその魔力と気性の激しさから、嫌気がさしていたころだったのす。彼は密かにこの申し出を受けることにしました。そして、王が用意した手切金をメデイアに渡すと、離縁を告げます。

「このお金を持って、子供と一緒に他国に行ってほしい」
「なんという仕打ち! コルキスでも、アルゴー船の航海でも、父親の復讐でも、あなたを助けたのに」

メデイアは激怒し、王女に毒薬をしみ込ませた衣を贈ります。王女は気に入って衣を着ると、毒薬で肌が焼けこげ、助けようとした父王ともども焼け死んでしまいました。

メデイア、アテナイへの逃亡

子殺しのメデイアとイアソン子供を殺したメデイアとイアソン

怒ったイアソンはメデイアのところに行くと、彼女は2人の子供メルメロスとペレスまで殺していました。

メデイアの子殺しは、悲劇作者エウリピデス独自の創作『メデイア』です。彼の悲劇は、アイスキュロス、ソホクレスに比べ悲劇性がうすいように感じますが、この『メデイア』はいかにもギリシャ悲劇といった内容です。

メデイアの子供の死には、他にいくつか説がありました。

①コリントスの婦人たちが子供を殺した
②メデイアが子供を神殿に隠しましたが、クレオンの親族によって見つかり殺されてしまう。それをメデイアが殺したと噂を流した
③メデイアがユノ(ヘラ)の神殿に子供を隠したが、誤って死なせてしまった

メデイアが逃亡した先は、アテナイ。アテナイのアイゲウス王は彼女を受け入れ、後に結婚しました。このアイゲウス王はテセウスの父です。テセウスがアテナイに戻ってきた時、メデイアは彼を殺そうとしましたが失敗します。ここでもまた、メデイアは竜の車で逃亡します。そして、メデイアは生まれ故郷コルキスに帰ったといわれています。

ところで、年老いたイアソンですが、故郷の草むらの中に朽ち果てていたアルゴー船に寄りかかり、死んでいたということです。