- アテナイ王アイゲウスの神託とテセウスの生い立ち
- アイゲウス王の妻メデイアのテセウス殺しの失敗
- クレタ王ミノスの息子とミノタウロスへの生贄の理由
※神の名前は、ローマ神話名(ギリシャ神話名)です。
テセウスの生い立ち
テセウスとアイトラ(隠された剣とサンダル)
子供に恵まなかったアテナイ王アイゲウスは、その理由をデルポイの神託に求めました。神託の意味がわからなかったアイゲウスはその帰り、トロイゼン王ピッテウスの王宮にたちよります。ピッテウスに神託の意味を相談したのです。
その晩、ピッテウスは娘アイトラをアイゲウスの寝所へおくります。アイゲウスはアテナイへ帰る前、巨岩の下に剣とサンダルを隠しました。そして、その秘密をアイトラに守るように伝えていたのです。
アイトラは身ごもっていて、その子がテセウスです。成人した彼はその剣を持ち、サンダルをはいて、アテナイの王宮へやってきました。その頃、アイゲウスは、コリントスから逃亡してきた魔女メデイアを保護し、彼女と結婚していたのです。
メデイアのテセウス殺しの失敗
テセウスに気づくアイゲウス王
アイゲウス王は、この若者が自分の子だとはわかっていませんでした。しかし、メデイアにはテセウスの素性がわかっていました。そこで、「あなた、あの若者は怪しいです」とアイゲウスに話し、彼を毒殺しようとしたのです。
テセウスがこの毒杯を手にした瞬間、アイゲウスは剣の象牙の柄に自分の一族の紋章を見たのです。すぐさま、彼はテセウスの手から毒杯を払いのけました。
メデイアは黑雲を呼び竜の車に乗り込むと、東の空コルキスへと逃げて行きました。
その後、テセウスとアイゲウス王は、幸せな食事を楽しみました。トロイゼンのアイトラのことなども語りあいました。しかし、王は悲しい顔もしばしばし、テセウスはその理由をたずねました。
王の悲しみは、毎年クレタ王ミノスに捧げる男7人と女7人の犠牲でした。そう、あのミノタウロスへの生贄です。それには、こんな理由があったのです。
ミノタウロスへの生贄の理由
テセウス vs ミノタウロス
クレタ王ミノスの息子アンドロゲオスはアテナイを訪れて、パンアテナイア祭の競技ですべての勝利をえました。
アイゲウス王は、力のある彼にマラトンの雄牛の退治を依頼。しかし、逆にアンドロゲオスは雄牛に殺されてしまいます。または、テーバイの競技に参加する途中、他の参加者にうらまれて殺されたともいいます。
別説では、アンドロゲオスの勝利が、アイゲウス王の兄弟パラスの息子たちの目にとまり、親交を結びます。アイゲウス王は、ミノス王がアンドロゲオスを通じて彼らを援助し、自分の王権を奪わせるかもしれないと考えました。そこで、王はアンドロゲオスがテーバイの祭りを見物に出かけたとき殺させたのです。
息子アンドロゲオスの死を知ったミノス王は、それを理由にアテナイと戦争を始めます。さらにアイゲウス王の兄弟のニソスが支配するメガラを攻め落としました。しかし、アテナイを攻め落とすことができなかったので、アテナイに罰が下ることを父ゼウスに願いました。
すると、アテナイでは飢饉や疫病が起こります。この災いのため、アイゲウスは神託に従ってアンドロゲオスの死に対するミノスの要求を受け入れました。ミノスはアテナイに、ミノタウロスの生贄をクレタ島に送ることを要求していたのです。
テセウスはこの話を聞いて、自らミノタウロスへの生贄に志願しクレタ島へ向かいます。
※今回の話は『変身物語』にはありません。「メデイアのテセウス殺しの失敗」だけが書かれています。
※通常、テセウスがアテナイへ来た頃には、ミノタウロスへの生贄は始まっていました。しかし『変身物語』では、テセウスがきた頃か後に、ミノス王が攻めてきているよな書き方です。このように、ギリシャ・ローマ神話では、作者によって時間が前後していることが多いです。