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イピゲネイアの犠牲イピゲネイアの犠牲

エウリピデス作[アウリスのイピゲネイア]No.1

「なぜ、ヘレネのために娘を犠牲にしなければならぬのか ⁉︎」
トロイアへ出征するには船を動かす風が必要です。風がなく静まり帰ったアウリスの港。予言者カルカスによると、娘イピゲネイアを女神アルテミス(ディアナ)の犠牲に捧げるしかありません。一度は受け入れた父アガメムノン。
国と娘の命を秤にかけると、国の方が重いのが当たり前の世の中。だが苦悩の末、娘は犠牲にできないと考えなおします。
しかし、アキレウスとの婚儀だと偽って呼びよせた娘イピゲネイアが到着。もはや犠牲にするしかなくたった父アガメムノンは苦悩し……決断します。

エウリピデス作【アウリスのイピゲネイア】No.1
コロス(合唱隊)=アウリス対岸のカルキスの女たち
イピゲネイア=ギリシャ総大将アガメムノンとクリュタイムネストラの娘

(アウリスの港)ギリシャ軍の艦隊はここに集結

ギリシャ・アウリス港-トロイア

アウリスのイピゲネイア[1]父アガメムノンの苦悩

アガメムノンの父としての苦悩

(アガメムノンの陣屋前。アガメムノン、老人を伴って登場)

アガメムノン
爺よ、私はお前が羨ましい。名もなく、一生の間危うい橋を渡る決断を下すこともない。身分のあるものより、よほど良いではないか。
老人
身分のある殿様が、何をおっしゃるのですか。
アガメムノン
名誉を誇る暮らしは、悩みにつきまとわれる。神を敬わないと、不幸の底にも突き落とされる。
老人
殿様、何かお困りごとでも。文(石板)をしたため、書いては消し、封をしては引きちぎる。
挙げ句の果てには、松明を投げつけては涙を流しておいでです。
アガメムノン
テスティオスの娘レダには我が妻クリュタイムネストラと妹ヘレネがおる。
美貌のヘレネには多くの求婚者が集まり、問題が起きぬよう、テスティオスは求婚者に誓いを立てさせた。

もし正当な夫を出し抜き、ヘレネを奪うようなことがあったら、皆が力を合わせ軍を起こし、ギリシャと外国を問わずその男の国を滅ぼすこと。

と。そして、ヘレネに選ばれたのが我が弟メネラオスだ。そこへ、メネラオスの留守にプリュギア生まれの女神の審判者パリスがスパルタへやってきて、ヘレネを奪って行った。
メネラオスは誓言を盾にしてギリシャ軍を集め、ここアウリスの海峡に集結したわけだ。
私が総大将に選ばれたが、ああ、他の者がこの名誉を受ければよかった。いまだに、風もなく出陣できない。予言者カルカスは、困り切った兵どもにこう言った。

総大将の娘イピゲネイアを女神アルテミスへ捧げるならば、船出がかない、トロイアを滅ぼすことができる

、と。しかし、私には娘を殺すことはできぬので、一度軍を解散させることを布告した。だが、メネラオスが聞かぬ。とうとう、我が妻クリュタイムネストラへと文を送った。

誉高いアキレウスが娘を妻にし、寄こさねば出陣を承知しない、と妃に嘘を書き送った。
このことを知っているのは、メネラオス、オデュッセウス、カルカスのみ。
だが、娘を死なすわけにはいかぬ。さあ、この文を妻に届けてくれ。
娘をけっして寄こしてはならぬ」とな。

アガメムノンの心変わり

老人
アキレウス殿には婚儀のことを伝えていないのですか、後でことを荒立てませぬか。
アガメムノン
アキレウスには話していない。名を借りただけだ。
老人
殿様、それにしてもお姫様を犠牲にするのは恐ろしいことです。
アガメムノン
だから、娘を助けるため、早く行け。もう気が狂いそうだ。
老人
急いで行ってまいります。
アガメムノン
それから、もし娘を乗せた車がきたら、必ず追い返すのだ。

(アガメムノン、老人、退場。コロス歌いながら登場)

コロス
波のさかまく瀬戸をよぎって
海ぞいのアウリス港の
波うち寄せる砂浜へやってきました。
対岸のカルキスの町をあとに
ギリシャの兵を見ようとて。

誉れも高い勇士らが漕ぎ寄す舵は
千艘の船を連らねてトロイアをめざす。
たくさんの船が集るところに来れば
目を驚かす大きな眺めに
女の身のただ感心して立ちつくすばかり。

右手の方にきおいたつ五十艘を率いる者は
プティアから来たミュルミドンのアキレウス。
舶先に立てた黄金の像は
ネレイデスのニンフの姿
船尾にはまたアキレウスが軍勢の旗。
・・・(次々と他の武将たちを歌う)

メネラオスの苦言

(メネラオス、老人、登場)

老人
メネラオス様、そのお手紙をお開けになってはなりません。お返しください。
メネラオス
放せ、僕(しもべ)のくせにつべこべ言うな! 痛い目に合わすぞ。
老人
ご主人様のために死ぬのは名誉なこと。ああ、アガメムノン様、あなたのお手紙が力づくで奪い取られます。

(アガメムノン登場。だが、メネラオスを真正面から見られない)

アガメムノン
いったい何の騒ぎだ。メネラオス、なんとしたことか。
メネラオス
兄じゃ、こっちを向いてくれ。不詳なことを伝えるこの石板が見えぬかな。
アガメムノン
見えるがどうした。まず、それを放すがよい。
メネラオス
いや、軍の皆に見せるまでは放せぬ。定まらぬ心は、親しい者にも害をなす。
兄じゃは、なりたくてなった総大将。それなのに、アウリスにやってきてから、逆風に悩まされ出航できない日々が続き顔色を失った。
予言者カルカスが、「娘をアルテミスの神に捧げれば、船出はかなう」との神託を伝えた。その時は、喜んで娘を犠牲に捧げると約束した。
アキレウスの妻にするという理由までを考え、イピゲネイアを連れてくるよう義姉に送ったではないか。

今になって腰砕けになり、それを反故にしようとしている。
心苦しく思うのは、ギリシャ勢が手柄を立てようと奮い立っている今、あなたは娘を犠牲にするのをためらっている。大いなる国ギリシャのため、一つの命はとるにたらぬのが世の習い。このことが知れ渡ったら、トロイアの奴らにも嘲笑されることだろう。
アガメムノン
一つの命だと、娘の命だ。なら、私もはっきり言おう。
一度手に入れておきながら、守りきれなかったのはお前の過ち。それを、咎のない者が罪滅ぼしをせねばならぬのか。私が間違っていたのを改めたからと言って、総大将の器ではないとでも言いたいのか。
思うに、ヘレネの父チュンダレオスに誓いを立てたのが神の仕業なのだ。
メネラオス
兄弟なのに、もう少しは同情してくれてもいいではないか。

アガメムノンの娘イピゲネイア到着

(使者、登場)

使者
アガメムノン様、お姫様をお連れしてまいりました。お妃クリュタイムネストラ様とオレステス様もおみえです。そこで、軍の間ではこんな噂が広まっています。
「お姫様にお会いになりたくて、アガメムノン様がお呼びになったのか?」
「アウリスの女神アルテミス様に婚礼の捧げ物をなさるというが、お姫様の花婿は誰だ?」
アガメムノン
報告、ありがとう。陣屋に入って休んでくれ。
ああ、妻にはなんと言ったらよいか。どんな顔して迎えよう。可愛い娘を犠牲にする悪事を企んでいるのを知ったら......。
コロス
お気の毒に。他国の私たちですが、王様のご災難を嘆かずにはまいりません。
メネラオス
私は何を考えていたのか。やっと子を殺すことがどういうことか、よくわかった。ましては、イピゲネイアは実の姪ではないか。それが、私の妻ゆえに、犠牲にされようとしている。
妻と姪にはなんの関係もない。軍勢はもう解散しよう。兄じゃ、涙を流すのはもう止めてくれ。
アガメムノン
ありがとう、メネラオス。しかし、カルカスが皆に告げるだろう。また、オデュッセウスが知っているのだ。民衆の心を掴むことにたけた男、どんな行動をとるかわかったものではない。
運命を逃れぬことはできぬ。娘は殺さねばなるまい。
メネラオスよ、妃に感づかれぬようにしてくれないか。異国の女たちも、心にしまっておいてくれ。

(アガメムノンとメネラオス、退場)

アウリスのイピゲネイア[2]偽の結婚とアキレウスの奮起