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ヘレネ vs ヘカべ

戦争の原因ヘレネ vs 悲嘆のヘカべの論争

トロイアが陥落し、パリスも死んだ後にヘレネが何を言うのか、は誰もが聞きたいことではないですようか。それが、この劇で明らかになります。

「トロイア戦争の原因ヘレネ vs 悲嘆のヘカベ」
誰が聞いてもヘレネの言い分は独りよがり。ヘカベは敢然と反論します。今まで悲嘆にくれていたのが嘘のようです。

ヘカベは、いざというとき凄い力を発揮します。この後、カッサンドラの独白のように、ヘカベは奴隷になって、ギリシャに行くことはありませんでした。彼女の最後の前には、さらなる苦難が待っていたからです。それはこの『トロイアの女たち』では語られず、ギリシャ悲劇『ヘカベ』で語られます。

エウリピデス作【トロイアの女たち】No.3
コロス合唱隊)=トロイアの女たち

(夜明け前、トロイア城外のギリシャ軍の陣営)

トロイアの女たち[3]戦争の原因ヘレネ vs 悲嘆のヘカベの論争

口達者なヘレネ vs 奮い立つヘカべ

(ヘレネの夫メネラオス、従者とともに登場)

メネラオス
トロイアの女たちと一緒にいるヘレネを引っ立てるために参った。ヘレネゆえにトロイアの露と消えた同志の霊を弔うため、罰することにしたからだ。
(従者らに)血に汚れた髪をひっつかみ、あの女を引きずり出してこい。
ヘカべ
メネラオス殿、そなたの妻を成敗するとは見上げたお心。しかし、顔は見られぬがよい。見ればまた恋しさに心が惹かれます。あの女の顔は、恐ろしい魔力を持っていますから。

(ヘレネが従者に連れられ登場。着飾り、化粧もしています)

ヘレネ
まあ、メネラオス。この私の生命をどうなさるおつもりか。
メネラオス
ギリシャ軍の総意によって、お前は俺が成敗することになった。
ヘレネ
その前に、私は殺されるいわれのないことを申し立てることは許されますでしょうか。
メネラオス
いまさら何を言うか。おれはそのような論議をしにきたのではない。お前を殺すために来たのだ。
ヘカべ
メネラオス殿、言い分だけは聞いてやられるがよい。しかし、それに言い返すのは私に任せてください。そなたはトロイア城内で起こった出来事はご存知ないであろうから。
メネラオス
ヘカべ、そなたの言葉を尊重しよう。

ヘレネの言い分

ヘレネ
そもそも、この不幸な戦争はそこにいるパリスを生んだ母親ヘカベにあります。次に父親プリアモス。パリスが赤子のうちに殺さなかったためです。
そのパリスが三女神(ヘラ、アテナ、アフロディテ)の美しさの判定者になりました。そして、あろうことか、三女神は次のウラ約束をパリスにしたのです。

ヘラはパリスをアジア、ヨーロッパの王にする
アテナはギリシャに勝利すること
アフロディーテは私の美しさをほめそやし、私の体を与えよう、と。

そして、パリスはアフロディテを勝者に選び、あなたがクレタ島へ行っている留守に、女神とともに私のところに来たのです。
私は自分に問いました。
〈私は何を思って、家も国も捨て、パリスと家出したのであろうか〉と。みんなあのアフロディテのせいなのです。

では、パリスが死んで夫婦の縁が切れた時、なぜギリシャの船に来なかったのか、とお考えでしょう。その時、私は紐をたらして何度も城壁から降りようとしたのです。しかし、見張りに見つかってしまったのです。そのうちに、デイポボスが皆の反対を押し切って、私を妻にしたのです。

また、ギリシャ軍は戦争に勝って、たくさんの財宝や女たちを得ることになりました。それは、みんな私の手柄。私は恩賞を受けても良いのではありませんか。それが、どうして殺されることになるのでしょうか。

ヘカベの反論

コロスの長
ヘカベ様、お国の名誉のために、この女の言い分を打ち破ってください。大それた罪を犯しながら、言葉巧みになんと恐ろしいことを言うのでしょうか。
ヘカべ
まずは、3人の女神様の名誉を回復しましょう。
アテナ様がどうして、ご自身の国アテナイをはじめとするギリシャをトロイア人に売り渡すことでしょうか。ヘラ様にいたっては、なぜゼウスという最高の夫がありながら、さらに人間から名誉を求められるのでしょうか。

アフロディテ様は私の倅パリスと一緒にメネラオス殿の館に行かれたといいいますが、女神ですぞ、空に坐しててもそなたを町ごと簡単にトロイアに運んでしまわれるでしょう。女神様を愚か者に仕立てあげてはなりません。

真相は、パリスを見たそなたの心が愛の虜になったのです。また、パリスの豪華な衣装と黄金の飾りに目が眩んだのです。そなたの欲望が、メネラオス殿の館では物足りなくなったのであろう。
さらに、戦時中は旗色の良い方にそなたの心はなびいて、メネラオス殿を褒めそやすかというと、メネラオスなどものの数ではないと言っていたではないか。

さらに、紐をたらして何度も城壁から降りようとしたと言ったが、誰も見とがめた者などおらぬ。私は何度も提言したではないか。
「嫁よ、ここを出ていくがよい。密かにギリシャ軍の船まで行けるよう取り計らってあげよう。だから、戦争が収まるようにしておくれ」と。
今また、元来ならボロを着て跪いていても良さそうなのに、そのように着飾り化粧までして出てくる。なんと見下げはてた女であろう。夫を裏切った女は、死んでその罪を償わなければならぬ。そうしないと、ギリシャ全土の女たちの貞淑が損なわれてしまいます。

メネラオス
(ヘカベに)おれも、ヘレネは己の心よりしたという、そなたの考えに同感じゃ。
(ヘレネに)さあ仕置き人のところに行き、ギリシャ人の10年の辛苦を死で償うのじゃ。これ以上、おれの名誉を傷つけることはできぬぞ。
ヘレネ
神様の罪を私にかぶせて、殺したりなさらないで、お願いでございます。
ヘカべ
メネラオス殿、そなたと一緒にヘレネを同じ船に乗せてはなりませぬ。一度恋をしたものは恋を忘れることはありませぬ。
メネラオス
そなたの忠告を聞こう。おれと同じ船には乗せはしない。ギリシャに着いたならば、操を守らぬ女は惨めな死に様をすると思い知らしめることになろう。

(ヘレネ、メネラオス、従者退場。ヘカベ、地に伏す。触れ人タルチュビオス登場)

ヘクトルの子アスチュアナクスの埋葬

コロスの長
まあ、なんということ。塔から投げ落とされたヘクトル様の子アスチュアナクス様の死体ではありませんか。
タルチュビオス
アキレウスの子ネオプトレモス様はアンドロマケを連れ、すでに出港なさった。ヘカベ殿、母御アンドロマケからの頼みで、野辺送りの飾りつけをして葬って欲しいとのこと。では、我らは墓を掘りに行きますので。

(タルチュビオス一行、退場)

ヘカべ
父上に生写しであった可愛いこの手がちぎれちぎれになって、よく大人びたことも言ってくれたこの愛らしい口……。私の布団に入って
「お祖母様が亡くなられたら、ぼくの髪をどっさり切ってあげましょう。お葬いの行列にはぼくの友達もたくさん連れてきて、お別れの言葉もきっと上手に言ってあげましょう」
と言ってくれたが、そなたはその約束をたがえてしまった。反対に、この婆婆が不憫なそなたを葬るのじゃ。そなたの墓に、詩人はなんと墓碑銘を刻むのであろうか。
「その昔、ギリシャの武将たちが恐れ殺めた幼児ぞ、ここに眠る」
このヘクトルの楯だけはそなたのもの、この楯に載せて葬ってあげよう。

ああ、神様はただ私を苦しめ、トロイアを憎もうとなさることであったとしか思われぬ。しかし、トロイアを滅ぼされることがなかったなら、私たちは名も知られず、後の世の人に歌い継がれることもなかったのであろうか……

(兵士たち、幼児の遺骸を運び去る)

ギリシャ兵がトロイア城に松明で火を放ち、やがて凄まじい音とともに城はやけ落ち、出発を告げるラッパの音が響き渡ります。

ヘカべとコロス
ああ、
ふるえる足をふみしめて
進むわれらの行手には、
憐れ、悲しき隷属の日々。
いたわしい祖国をあとに
ギリシャの船を目指して
われらは足を運びゆく。

ヘカベの悲劇はこれで終わりではなく、さらなる苦難が待ち受けています。ギリシャ悲劇『ヘカベ』へと続きます。

ヘカベ[1]女の中で一番不幸なトロイア王プリアモスの妃