- 酒神バッカス(ディオニュソス)の母セメレと姉妹のイノは、酒神バッカスに鼻高々です。
- そんな高慢なイノをユピテルの妃ユノ(ヘラ)が、許すはずがありません。冥界にいる復讐の女神に命令をあたえます。
- 復讐の女神ティシポネは、アタマスを狂わせ息子を殺させ、イノは子を抱いて崖から身を投げます。
※神の名前は、ローマ神話名(ギリシャ神話名)です。
怒るユノ、冥界に下る
テンペウス王とミニュアスの3人の娘の事件で、今やテーバイ市中が酒神バッカス(ディオニュソス)に帰依しています。バッカスの叔母にあたるイノは、バッカスを一時育てたこともありますから、鼻高々になっていました。さらに夫アタマスにも、息子にも恵まれていました。
そんなイノをユピテル(ゼウス)の妃ユノ(ヘラ)が許すはずがありません。なぜなら、バッカスはユピテル(ゼウス)とイノの姉妹セメレの子だからです。
「このわたしは、悲しみを嘆くことしかできないというのか? ではどうしたらいいか。それはバッカスが教えてくれた。狂気にどんな力があるかということを。イノも狂気に翻弄されるがいい!」
冥界におりたユノ、復讐の女神に命令する
ユノは天界をあとにすると、冥界を訪れました。冥界の番犬ケルベロスもユノには逆らえません。冥界には永劫の罰を受けている巨人ティテュオス、イクシオン、シシュポス、ダナオスの娘たちがいます。
ユノはかつて自分に欲情したイクシオンを一瞥すると、髪の毛—黒い蛇—をくしけずっている復讐の女神たちに近づきました。彼女たちはユノを認めると、立ち上がりました。
「シシュポスだけが永劫の罰を受けているのはなぜなのか? 彼の兄弟アタマスは高慢なイノを妻とし、裕福な館に住んでいて、いつもわたしをないがしろにしている……」。ユノは冥界に下ってきた理由と復讐の女神たちへの命令をそれとなく話したのです。
「まわりくどい話はいりません。ご命令のいっさいは果たされたとお思いください。どうぞ、清い天界へお帰りください」。復讐の女神の1人ティシポネは答えました。
天界に帰ったユノを、虹の女神イリスが水をかけて清めました。
アタマスとイノを襲うティシポネ
復讐の女神ティシポネは「悲しみ」「わななき」「恐れ」「狂い」を供にしてアタマスの館にやってきました。すると、門柱は震え扉は色を失ったといいます。
アタマスとイノは館の変化に気づき逃げようとしましたが、ティシポネが立ちはだかります。髪の毛の蛇はシューシューと舌をちらつかせ、毒気を吐きます。
アタマス王とイノを襲うティシポネ
ティシポネは2匹の蛇を頭から手にすると、アタマスとイノに投げつけます。蛇は2人の胸の上をはいまわり、毒気をふきこみます。
ティシポネは不可思議な毒汁も持ってきていました。それは、地獄の番犬ケルベロスの口の泡、怪物エキドナの毒、「妄想」「忘却」「罪業」「落涙」「凶暴」「殺戮」を混ぜ合わせ、血で和え、毒人参を入れ、煮詰めたものでした。
アタマスとイノにこの毒汁を注いで心の奥底まで撹乱したティシポネは、冥界に帰っていきました。
狂ったアタマスとイノ
狂ったアタマス王と逃げるイノ
狂ったアタマスは「お〜い、みんな、2匹の子を連れた雌ライオンを見たぞー」と叫びます。彼はイノの胸から笑っている幼子レアルコスを強引に引きはなします。空中で二度、三度まわした後、残酷にも硬い岩に頭を打ちつけました。
この時、母親イノも狂いました。幼いメリケルテスを抱き抱え、「えうほい! バッカス!」と叫び、髪をふり乱し、錯乱状態で逃げていきました。天界のユノがほくそ笑んだのは、いうまでもありません。
狂ったように崖まで走ってきたイノは、子供を抱いたまま海へ身を投げました。
女神ウェヌス(アフロディテ)は、海神ネプトゥヌス(ポセイドン)に願いました。
「海の神様、わたしの娘ハルモニアの娘イノとその子にお情けを! どうか2人をあなたの配下の神々にお加えください! わたしは大海の泡から生まれた縁もありますゆえ」
ネプトゥヌスは、女神の願いを受け入れました。イノ母子の死すべき部分を取りのぞくと、母を「レウコテア」、息子を「パライモン」と新しい名をあたえて迎えたのです。
イノの仲間であったテーバイ市の女たちは「女神ユノは正しくない、残酷すぎる!」と非難しました。そして、イノ母子が身を投げた崖に集まると、それぞれの思いで嘆き悲しみました。中には後を追って、海に飛び込もうとする女もいました。
ユノは怒り「では、わたしの残酷さの記念碑にしてあげよう」と言うと、彼女たちはそれぞれの嘆きの姿のまま石に変身したり、鳥に変身して崖のまわりを飛びまわっていました。